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2014年5月1日木曜日

【 流れに従って生きる ACT10: この現場での私の存在意義は・・? -見学会の意義と役割― 】


ACT10  この現場での私の存在意義は・・? -見学会の意義と役割―

 

 U様邸新築工事は、設計のウッチーさん・大工さん・そして私も含めて、高断熱高気密住宅というのが初めてでした。そのため、技術指導として鎌田先生はじめ、会沢さんや多くの新住協のメンバーが足を運んでくれました。私は、木造すら初めてだったので、完全におんぶにだっこ状態でした(^^;)。そんな状況になるのは、着工のときには薄々感じてました。

技術的には勉強させてもらえる「たんなる手配屋の現場管理者」・・になると・・。

 

そんなつまらない役回りは、性格上、嫌なので・・、私は、自分なりにその現場での自分の存在意義を考えました。

 

いろいろ考えて、出した結論は・・、

 

技術の根幹を身に着け、それを一般の方にわかりやすく伝えるような、

 

【今までにないアピール度抜群の構造見学会をする】

 

ということでした。

 

何故、そのような結論に至ったかと言いますと、その見学会には多くのメリットがあると考えたためです。

 

①    一般の方に理解してもらうには、私自身がきちんと理解しないといけない・・という使命感が出来る。

②    新住協は、フランチャイズのように多額のお金を積んだ工務店だけに技術を教えるのではなく、広く世の中に正しい技術を広めたい・・という理念がありました。そこで、工務店に技術の取得を促すには、まずは一般の方に、こういう高性能住宅が出来るんですよ!・・と情報を広めるのがいいのでは・・と考えました。

③    当時のN建設(会社)視点からのメリットとしては、現場周辺が25年ほど前の分譲住宅地でちょうど建て替えラッシュの時期になっていましたので、ここで、猛アピールできれば次の家づくりにつながる可能性が高い。

④    ちょうど2~3組の見込みのお客様がおり、別会社と競合していましたので、良いアピールになる。

⑤    会社として有無を言わさず新在来木造構法を継続せざるをえない状況になる。

 

実は、この現場が終わったら、ポリシートを使った工法(新在来木造構法)は、N建設ではやらない方向で話が進んでいました。新しい技術を嫌がる上司の方がいたため、ポリシートを貼ることに抵抗感を示し、「いままでの隙間だらけの在来木造でいいのでは」・・という意見も出ていたのでした。

ただ、アピール性に乏しい住宅を造っていて、先々見通しの悪かったN建設にとって、この新在来木造構法で家づくりをやらせてもらっているのは「天がくれたチャンス」だと、私は勝手に判断したのでした。

 

会社には、表向き、③・④の目的で見学会を開催しましょう!提案しましたが、実際の大きな狙いは⑤にありました。

 

 

 

 見学会を成功させるのに、どうしたらいいか?私は、いろいろ考えて、まず現場を知ってもらう活動をすることを考えました。

 

上棟式です。

 

「100人以上集めますから餅まきしましょう」

 

・・と、お施主様にお願いして、最近、仙台ではやらなくなった餅まき上棟式を計画しました。お施主様の息子さんにあたるウッチーさんからは、「100人なんて集らないよ」・・と言われましたが、「何とかして、にぎやかな上棟式にしますから」・・と無理にお願いをして、何とか了承をいただきました。もちろん、見学会成功へ、現場の認知度を上げる意図もお話ししました。ウッチーさんの設計受注にも可能性を上げる効果があるためです。

 

 

ちょうど目の前が幼稚園だったので、園児さんの思い出づくりにもなるだろうと思い、幼稚園の先生にお願いして、ご父兄の方に事前に餅まき上棟式の案内(かわいいイラスト入り)を配布してもらいました。

 

また、近隣の方々への現場へ関心をもってもらうため、餅まき上棟式のチラシを訪問して回りました。手渡ししながら、「ちょっと、この辺では見られない面白い住宅なんですよ・・」の一言も付け加えて。

通学路にあたる道端には数日前から、餅まき上棟式の看板を立てたり、とにかく人を集められる方法は色々考え、実行しました。

 

 とはいえ・・、まずは、この上棟式にどれくらいの人が来てくれるのか・・正直、不安でした。10人くらいだったら、せっかく上棟式を了承してくれたお施主様にも申し訳ない状況になりますし、見学会開催への会社の意欲にもマイナス影響がでてしまうのでは・・と考えていたのです。

 

 

上棟式前日・・

 

天気は、最悪の雪・・ガーン(;_;)・・・。

 

しかも・・めっちゃ寒っ・・(--;)

 

明日も、こんな天気だったら、上棟式すら出来ず、もちろん誰も来ない・・

 

当時は携帯電話で細かい天気予報などなく、

テレビの天気予報もざっくりとした確率の低いものでしたので、

雪と寒さに、私の心もドドーン・・と沈んでしまいました(--)。

 

その夜は、翌日の最悪のパターンを想像して寝つきが悪かった記憶があります。

 

 

 

上棟式当日の朝・・、

 

 

私はカーテンを開けて、目を疑いました。

 

 

快晴!快晴! しかも、暖かそう!

 

 

なんと・・前日の雪がうそのように、その日の天候は大急展開して、小春日和の快晴になったのでした。しかも、あったかい・・(^^)b。

 

上棟式の準備をしているときも、大工さんはじめ、ウッチーさん、お施主さま、会社の面々とも、「昨日の天気がウソのようだ!」と口々に言うほど、天気の違いに話が盛り上がるほどでした(^^)。

 

 

上棟式が始まる3時ころ・・、

どこからともなく子供たちや親御さんが集まりだしてきました。

 

そして餅まきをする時間・・、

 

道路には、ゆうに100人を超えたご近所の方がいました。

 

こんな運にも恵まれて、大風呂敷を広げて言った「100人以上集めますから・・」の言葉は、無事に達成することが出来ました(^^;)

 

 

餅まきは、盛大に・・にぎやかに・・大成功のうちに終了しました。

 

現場のアピール云々を跳び越して、そのときは、にぎやかだった上棟式、喜んでいただいたお施主さまに、ただただうれしく感じていました。

 

前日までは天気にヒヤヒヤしていましたが、その日は、お天気サマサマでした。

 

まだまだ私の運も終わっていないと感じる一日でもありました。

 

 

 *【流れに従って生きる】は毎月1日に更新していきます*

 

2014年4月1日火曜日

【 流れに従って生きる ACT9:偶然がかさなり、家づくりという「流れ」へ・・ 】


ACT9 偶然がかさなり、家づくりという「流れ」へ・・。

 

 RC造の小学校の現場も、「いろいろなエピソード」と「私の新たな成長」という思い出を残して、無事、春に竣工しました。
 
 

その年、N建設は「役所工事に頼りすぎている体質」を改善する目的で住宅部門を立ち上げる方針を打ち出しました。
 
私は、大きな箱もの建築より住宅をやりたいなぁ・・という思いもあり、その部署に希望を出して配属させてもらいました。



しかし、ゼネコンに家づくりを依頼する・・というのは敷居が高いのか、新築の受注の見込みもない前途多難な船出でした。数ヶ月間小さな改修工事の経験をしたのち、運命の展開がまたも訪れてきたのです。

 

 その年の秋ごろに、ウッチ―さん(仮称)から ご実家が家を建てるといことで、N建設に相談があったのです。
 
 これも、偶然なのですが、ウッチ―さんは私がN建設でアルバイトする直前まで、そこでアルバイトをしていた「N建設アルバイト組 腐れ縁」の1人なのです。
 
 そして、ウッチーさんは、東北大学建築学科という私の先輩でもあり「東北大学建築学科の腐れ縁」でもありました。
 
 そのウッチ―さんが設計事務所として独立することとなり、その第1号の住宅がご両親の家で、その工法が新在来木造構法だったのです。




初めてウッチ―さんが建築予定の住宅説明にN建設に来たとき、私とウッチ―さんとは実は初顔合わせでした。腐れ縁がいろいろあり、名前とエピソードは5年ほど前から聞くことはありましたが・・、機が熟したのか・・ようやくの顔合わせ・・となりました。




ウッチーさんは、これから始まるご実家の家づくりについて、「構造」や「高断熱高気密」の説明をとくとくとして、「これからの時代の住宅だと思います」と力説しました。私は、その住宅の説明を聞いているうち、無性に「この現場をやりたい」という思いに駆られました。

 
 
 

強烈な「流れ」を感じたのです。



 

翌日の住宅事業部でのミーティングで、私は、この現場をやりたいという「やる気」と「オーラ」と「目ぢから」を、当時の上司であるS工事長に出しました。誰が見ても、「私がやりたい」という・・・
「やる気満々」の雰囲気を醸し出しながら・・(^^;)。

 

ところが・・、
 
 
数日後のS工事長から言われたのは・・、
 
別の人が、Uさま邸の現場担当で、私は、小さい営繕工事担当という指示でした。
 
 
 
2年目という経験値を考えられたのか・・あまりにもあからさまに「やりたい」というオーラを出し過ぎたからなのか・・理由はわかりませんでしたが、肩透かしをくらった感じになり大きなショックを受けました。
 
 
E工事長だったら・・やる気を尊重して、違う判断をくだしてくれただろう・・と思うほど、そのときのショックは何故か今でも覚えているほどでした(;_;)。

 

私は数日間、腑抜けた状態で、次の営繕工事の準備をすることとなり、未練たらたらで悶々と日々を過ごしていました(--;)

 






 

・・ところがどっこい・・「捨てる神あれば拾う神あり」です。

 

 

 

Uさま邸(ウッチーさんおご実家)新築工事の地鎮祭2日前のことです。

 

 

 

私が担当するはずだった小さい営繕工事が、なんとドタキャン!。
 
 
 

・・と同時に、Uさま邸を担当する予定だった人の現場で、重大なトラブル発生で、
その処理に数週間の日数が掛かる!
 
 
・・という事件が、なんと「同じ日」に起きたのです。

 
 
 
 
 

このびっくりするような「大どんでん返し」で・・、

 
 
 
 

Uさま邸の地鎮祭の現場に立っていたのは・・

 
 
 
 
 
 

なんと、私なのでした・・(^^;)。

 

 

 
やっぱり、感じた「流れ」は正しかった・・。
 
私は、そのとき、強く思いました。
これが、新在来木造構法、そして新住協との長い付き合いになろうとは・・。
 

 

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2014年3月1日土曜日

【 流れに従って生きる ACT8:一流になるには一流を真似ろ 】


ACT8 「一流になるには一流を真似ろ」

 面白い専務と理解力のあるE工事長のおかげで2年ぶりにマンガのペンを持ち出した私でしたが、初めて「本に載る」漫画を描くことになったということで、大学のサークルで描いていた漫画とは、あきらかに意識が違ってきました。

わずか1ページ漫画でありましたが、その1ページの中で、読み手の立場になって笑わせなければならないという責任を感じました。サークルでの漫画は、いわゆる自己満足の世界なのです。

 

客観的な視点に立って面白い

 

これに慣れるまでは、かなり創作に苦しんだ覚えがあります。たった1ページの漫画が1ヶ月考えてもまとまらない。締め切り間近になってもまとまらない。そんな悶え苦しんだ中で、原稿ができるのはいつも締め切り前日なのでした。

意図的ではなかったのですが、何故かそうなってしまうのです。

 

こんなこともありました。

 

第2作目だったかと思います・・。

 

締め切り前日でしたので、夕方までに仕上げて提出する予定のまとまりかけの原稿を、朝一で、E工事長に見せました。自分の心の中にも、どこか妥協した点はあったのですが・・、遠藤工事長に「面白くない。描き直しなさい」と言われたのです。

 

私:「えぇ!今日の夕方締め切りなので無理ですよォ・・」

E工事長:「白鳥君。今日は、現場に出なくていい。現場は俺が全部やるから、ここ(現場事務所)で今日中に仕上げなさい」・・。

 

こんな上司って世の中にいるだろうか?

 

私はその日、本当に現場に出ないで昼飯も食わず、ものすごい集中力でストーリーを考え、漫画を仕上げました。

 

 

E工事長の評価は・・

 

 

おもしろい・・。

 

「合格」・・でした。

 

そこは漫画家のオフィスではありません。RC造の小学校の工事現場なのです・・。

 

 

この漫画づくりは、数ヶ月続きました。私が、E工事長から「もう俺に見せなくても大丈夫だな・・」と言われたのは、6作目くらいだっただろうかと思います。(ホームページには、この初期のシリーズは掲載していません)

この漫画を描くということを続けていて、現在の設計に役立っていることがあります。

 

○   ひとつは、お客様の視点に立って、面白いプランかどうか・・という見方ができるようになったこと。

感動させれるプランか?もしくはストーリー性は持っているか?自己満足ではないか?など・・。

 

○   二つ目は、締め切りが長くても駄目だということです。漫画もプランも2週間の時間をもらっても駄目なこともあります。もちろん、初期的なイメージ創作を考えれば時間は必要です。ただ・・「明後日までに仕上げないとアウト」・・という状況で、集中して創り出されるのが、実は一番面白かったりするのです。

大切なのは、『ものすごい集中力』なのです。

 

○   三つ目は、「期待以上のものになっているか?」という見方です。漫画を描いてて感じたのは、相手が期待しているレベルを超えると、笑いや評価が格段に違うということです。

それに伴って、またハードルの高い「期待」と「依頼」がやってくるのです。逆に、期待した以下の出来上がりだと、手抜きを見透かされたり、話が冷ややかになったりします。下手すると仕事自体が消えますので、家づくりも同じだな・・と感じます。予算を把握しつつ、その中で相手が期待している以上の内容を提案できているかが、仕事に結びつくかどうかに大きく影響しているような気がします。

 

○ そして、漫画づくりを通して得たもので、住宅設計をする際に、私に何よりも大きな力を与えてくれているのは、E工事長の言葉でした。

 

 

漫画のアイデアに行き詰ったとき、E工事長は私にこう話してくれました。

 

E工事長 「白鳥君の描いている漫画のタッチは、誰かの真似か?」

 

私 「まぁ・・そうですねぇ・・。」と私はバツの悪そうな声で言いました。

 

 

E工事長 「それを、恥ずかしいと思うか?」

 

 

私「ん~・・・」

 

 

 

 

E工事長 「白鳥君・・

 

『一流になるには一流を真似ろ』

 

という言葉がある。

 

真似することが一流への近道なんだぞ!

 

真似することを恥ずかしいと思ったらだめだ!

 

どんどん真似しなさい!そのうち自分なりのオリジナルも生まれるから!」

 

 

私は、この言葉に目からうろこが落ちる思いをしました。それまでは、やはり真似することを避けたいという意識が働き、それが、創作の幅を狭めていました。しかし、この言葉を聞いてからは、真似ることを恥と思わず、むしろ、自分の肥やしにする・・という意識が働いています。

住宅の設計をしていくときも同じ意識です。雑誌や、実物を見て、いいと思う設計要素は、遠慮なくどんどん真似してみます。不思議なもので、真似してみると意外とすんなり自分の設計力のUPにつながりますし、そこから+αの独自性のアイデアも浮かんでくるのです。漫画も住宅設計もその点は同じで、真似をどんどんしていくと、必ず、そこから真似た要素+αのものが生まれてくるのです。多分、E工事長が言っていた「一流になるには一流を真似ろ」の真髄はここにあるのだろうと思います。

 

私の人生の格言の一つです。

 

『一流になるには一流を真似ろ』

 

 
***蛇足的な話になりますが・・***
 

この小学校の現場をやっているとき、こんなことがありました。

サッカーのアメリカワールドカップ予選で、日本はミラクルな快進撃!。初のワールドカップ出場は、ほぼ手中に収めているという状態でした。私は、サッカーが大好きなので、日本が初めてワールドカップに出るときは、何が何でも見に行きたいと思っていたのです。結局、日本は最後の最後「ドーハの悲劇」で、ワールドカップ初出場を逃したのですが、私の心の中では、悔しさ半分、ホッという感情が半分でした。さすがに、N建設に入社して、たった一年で辞める「流れ」は感じていなかったからです。もし、日本がアメリカワールドカップに出ていたら、かなり悩んで、会社を辞めていたかもしれません・・(^^;)。
この蛇足的な話は、後ほど生きてきます
 

 

 

 

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2014年2月1日土曜日

【流れに従って生きる ACT7:N建設にて―再びマンガのペンをとる―】


ACT7 N建設にて -再び漫画のペンをとる-

 

 N建設でのはじめての現場は、会社を飛び出して現場事務所へ出勤するというRC構造の小学校建築でした。初めての現場でしたが、大きくてわくわくした記憶があります。

その現場では、毎日たくさんの職人さんが作業にきました。1日30人~50人という数の職人さんが来る日もあり、にぎやかな毎日を過ごしました。
その日々の中で、私はいろんな職人さんと仲良くなり、そしてその職人さんの数人から言われた記憶に残る言葉があります。


白鳥君・・、最初に付いた上司が【E工事長】でよかったな・・。

 
E工事長はトップダウンでなく、職人さんや部下の意見をよく聞いてくれました。また、指示待ちを期待せず、「考えること」「アイデアを出すこと」を重要視していました。おかげさまで、初めての現場にもかかわらず、いろいろと遠慮することなく聞けましたし、遠慮なくいろいろなアイデアを提案することもできました。
予算がなくて2人で現場を切り盛りしなければならなかったことも、逆に色々と役割をあたえられる環境となり、私自身のその後のステップアップには、恵まれた環境だったと思います。

 

この現場で、まさかの面白い展開が起きました。

 

ある日、N建設の専務に呼び出され、次のように言われました。

 

「俺が執筆している建築雑誌の1ページに現場マンガを連載してみないか?」

 

 

思わぬ提案で喜びたい依頼でもありましたが・・

初めての建築現場の上に2人で切り盛りして忙しく、

とても時間が取れない・・(ーー;)。

 

現場で描こうにも新入社員の私がそんなことをお願いできるはずもない・・。

 

でも、何かのチャンスのような気もする・・。

 

ん~・・どうしよう・・(ーー;)

 

 

もともと前向き思考の私は、思い切ってE工事長に相談してみました・・。

 

 

ここで、E工事長から驚きの答えが返ってきました・・。

 

「白鳥君・・マンガを現場で描いていい。

そのかわり、出来上がったら一番最初に俺に見せろ。

面白くなかったら、描き直させるから」。

 

「え・・!いいんですか!?・・(@@;)」

 

予想外の返事に、正直、驚きました・・。

こんなことをすぐに快諾してくれる上司って、ちょくちょく居るのだろうか・・

それとも、かなり稀なことなのだろうか・・

 

 

 

その後わかったのですが、E工事長は若いころ映画監督に本気でなりたかったらしく、こういう創作活動には理解力があったのです。

これもあとでわかったことなのですが、E工事長以外の上司の方であれば、規律正しい性格上・・誰一人OKを出さなかっただろう・・ということは明らかでした。

そのほうが普通なのですが・・。当たり前です・・(^^;)

 

こんなラッキーな偶然も重なり、すっかりあきらめていた漫画のペンを2年ぶりに握ることになりました。これも、「流れ」なのだろうか・・。偶然の重なりとはすごいものです。まさか、それから10年たった今でも描き続けることになり、間接的にも仕事になるとは、その時はもちろん思いませんでした。

 

 

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2014年1月1日水曜日

【流れに従って生きる ACT6: N建設 「ここに存在する意味がある」】


ACT6 N建設へ・・「ここに存在する意味がある」




 最後の追試でようやく建築学科を卒業した私は、ほどなく仙台の地方小ゼネコンであるN建設(株)に入りました。
ここでは、しょっぱなからカルチャーショックをうけました。

 
アルバイトしていた頃の 製図室 とは違い、配属された工事部は、完全な「縦割り社会」で、3人の工事長を筆頭に入社した順番に前から机が並んでいる・・というスタイルでした。正直、今どきの社会でも、一般企業ってこんなシキタリなのかな・・??と面を食らいました。
なにせ、大学という自由な空気の中で4年間も過ごした私には、高校の体育会系の部活に戻ったこの雰囲気には、時代を巻き戻したような感覚さえ覚えたからです。

おまけに、私は白い目で見られる存在でした。

私より年下でも、2~3年現場でバリバリやっていた人から見れば、「ちょっと有名な大学出てきたからって、いい気になるなよ。何が出来るってや?」・・という思いもあるのでしょうか・・、私は、完全に冷たい視線を送られる存在でした(@@;)。

さらに、給料、ボーナスとも想像していたよりかなり安く、入社した初めの頃は、「選択ミスだったかな」・・と正直がっかりしました。
 
自慢ではないですが、N建設に努めた5年間、ボーナスで20万円もらったことがありません・・。
スーパーゼネコンに行った同級生の金額を聞けば、心底、惨めでした・・(;_;)。

(同級生の飲み会では、よくバカにされました・・(^^;)。親にも・・)

 そんな中でも、N建設でがんばろうと思ったのは、いろいろ流れを感じたからでした・・。

新入社員歓迎会の基調講演で、協力業者T電気㈱の会長さんのご挨拶で、記憶に残っている言葉があります。

「今はまだ分からないだろうが、ここにあなたや周囲の人が居て、こういう関係になったのは、見えない糸でつながっていた運命だったと気づくときがくるだろう。

ここにいっしょに存在する意味があるのだ。

だから、その環境を否定するのではなく、その環境で一生懸命がんばりなさい。きっと、いいことがあるはずです」。

 

70過ぎの人生観から語った言葉ではあると思いますが、私が「流れ」と呼んでいたニュアンスと非常に近いものを感じ・・、ここで、こういう話を聞くのも「流れ」なのだろう・・。会社を巣立つ時期だ・・という「流れ」を感じるまで、N建設に居ようと心に決めました。




その選択が結果としては良く・・

N建設の濃縮された5年間に、

これから私の人生を決めるいくいろいろな出来事が展開していくことになります。





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2013年12月1日日曜日

【流れに従って生きる ACT5:不思議な卒業試験】


ACT5 卒業試験 ― 不思議な1週間 ―

 

 建築学科では、設計はそこそこ・・デスクワークはいまいち・・という感じで、なんとなく過ごして・・、就職先も決まり・・いつの間にか4年生の10月くらいになっていました。

 設計課題になると数日連続で徹夜するくらい気合が入っていたことを覚えています。

 

 そんな、私に、またも、ピンチが訪れました・・。

 

 必修単位の「構造」の試験がどうしても取れず、再追試験まで落ちていたのです・・(――;)

 

 東北大学の建築学科は、実は、「構造」分野で 優れている大学で、原子力発電所など特殊建築の構造計画を国から委託されるほどだったのです。

 そのため構造の授業が難しく、私のような単細胞では理解しにくいものでした・・。

 

 最後の再追試験に残ったのは約10名・・。

 

 もちろん試験を取れなければ、卒業できず1年後に持ち越し・・。

 

 10人くらいだと、カンニングも出来ない(;_;)

 

「そうだ!答えをみんなでサインで連絡しあう方法があるぞ!」・・うまくいくかなぁ・・(^^;)

 

 「ちょっと・・いや・・かなり、やばいなあ・・」

  と、久々に机に向かって猛勉強・・。

  就職先の会社には、「もしかすると、1年卒業がずれるかもしれません」・・と念のため報告。

 

 猛勉強するも、参考書や教科書をめくっても理解できない難しさ・・(@@;)

 最後には「こんなの解かんなくたって生きて行けるじゃん」・・と投げやりになる始末・・(ーー;)

 

 そんな勉強をしていた試験2日前・・ 自宅の電話が鳴りました。

 

 実家のおふくろでした・・。

 

おふくろ「顕志・・おじいさんがまずい状態なんだけど・・帰って来れない?」

 

私 「え? まずいって、どんな状態なの?」

 

おふくろ「もしかすると、亡くなるかもしれない・・」

 

私 「えぇ・・!。でも、俺、明後日、最後の卒業試験なんだよ・・。

 

おふくろ「でも、死んでしまってからでは何だから・・先生に言って帰ってこれないの?」

 

私 「・・・」

(そりゃそうだよなぁ・・死に目に会うのと、試験とどっちが大事か・・)

 

私 「先生に融通きかせてもらえるか、明日聞いてみるわ・・」

 

翌日、私は、構造の教授に電話して、祖父が危篤状態になり実家に戻らなければならないことを伝えました。

 教授は、快諾してくれまして、後日、1人追試験を行うことになりました・・。

 ・・しかも、教授室で・・

 

 1人追試験・・って、「カンニング」 も 「答えの伝達」 も絶対に無理じゃん(;;)・・。ガーン(--;)

 

 そんな、絶体絶命の窮地に追い込まれながら・・試験当日、私は実家に戻りました。

 

 

 <実家にて・・>

 

 実家に帰ると、妹も実家に帰ってきており・・なんだか・・変な感じが・・

 

 私 「あれ・・お爺さんは・・?」

妹 「それがさぁ・・ちょっとおじいちゃんの部屋に行ってみてよ・・」

 

祖父の部屋をそっと開けると・・

 

信じられない光景が・・。

 
手足が不自由で、ほぼ寝たきりの祖父が・・

 


ベットの上でぐるぐる動き回っている・・
 
 


しかも、私を見るなり「お前!誰だぁ!!」と叫びだす・・。



 

「殺されるゥゥゥ!!!!」とわめき散らす。

 

 

開いた口が塞がらないような光景に、しばし呆然・・。

 
私「じいさん・・いったいどうしたの?」

 
母「3日くらい前から、急に、頭がおかしくなったみたいで、ベットの上でぐるぐる回ったり、誰の顔を見ても分からなくて騒いでいるんだよね・・。」

 
私「・・・ なんで・・・」

 
母「こうなる直前に・・『みこ!みこ!』・・って何度も叫んでねぇ・・。それから急におかしくなったんだよ・・。お医者さん呼んでも、よく分からない・・と言われてさ・・。」

 

『みこ』・・とは、当時、我が家で飼っていた猫の名前でした。

 

私「そういえば、みこ(猫)はどこに行ったの?」

 

母「それが、その日から 帰ってきてないんだよね・・」

 

私「え・・。もしかして、どっかで死んでるんじゃないの・・」

 

母「縁の下とか、納屋とか、一応見たんだけど、居ないんだよねぇ・・」

 

私・母・妹 「・・・・」

 

 ふと・・、私が ひらめく? 頭をよぎる? 直感? めいたものが頭に浮かんで・・

 

私 「みこが 最後に子供を産んだ場所ってどこだっけ・・?」

 

妹 「あ・・かやぶき屋根の雨戸の戸袋の中だ・・」

 

私 「まさかなぁ・・そこに居たりして・・(^^;)」

 

妹 「とりあえず見てみようよ・・」

 

私と妹は、江戸時代から建っている かやぶき屋根 の建物に行き、みこ(猫)が最後に子供を産んでいた、戸袋のところに行きました。

 

そして、立て掛かっていた数枚の雨戸をずらしました。

 

 

 

 

 

 

 

みこ(猫)は、そこで死んでいました。

 

 

 

ぞくぞく・・という、寒気を感じました・・。

 

その場所に 呼ばれた感 がして、思わず「うわっ・・」と声に出してしまうほどでした。

 

 

 

みこ(猫)は、とりあえず、土に埋めて弔ってあげましたが・・

爺さんが『みこ、みこ』と叫んでから、おかしくなったのと・・、その『みこ』が、本当に死んでいて、私が直感でそこに呼ばれた感があったのと・・いろいろ重ねると・・

 

 

なにこれ・・みこ(猫)が 爺さんに取り付くって・・そういう事ってあるの・・?

 

そういうことって・・世の中にあるものなの・・?

 

 

私は、お化けとか・・幽霊とか・・宇宙人とか・・あまり信じない方なので、この不思議な出来事が、ショッキングでした・・。

 

 

もし、仮にそうだとしても、現状・・病気でもない爺さんを治す方法もないので、これからいつまで 爺さんはこの状態なんだろう・・という現実だけが重くのしかかっていました。

特に危篤でもない・・基本的には元気・・なので、私は、翌日には、仙台に戻ることにしました。

 

 

<大学にて・・>

 

私は、お礼を伝えに 構造の教授室に行きました。

 

教授「おじいさんは大丈夫なの?」

 

私 (不思議な話はしないで) 「ん~・・よく分かりません・・。数日は大丈夫そうなので戻ってきました・・。

 

教授「それじゃ、明日の2時にここ(教授室)に来なさい。すぐに試験をするから」

 

私「え!。明日ですか? 早っ・・」

 

 

私は息つく暇もなく、翌日、最終追試験を受けることになりました・・

 

勉強したことは、今回の騒動ですっかり すっ飛んでしまい・・、留年確実な・・たった1人の孤独な試験に臨みました(;_;)。

 

 

<最終試験:教授室にて・・>

 

教授「はい、これが試験です。」

 

私の心の中 (げ・・見るからに難しい)

 

教授「時間は90分」

 

私の心の中 (分からない90分は、苦痛以外の何物でもない・・なあ)

 

 

 

留年・・確実・・

 

 

 

・・と思ったとき。教授から思わぬ一言が・・

 

教授 「教科書と参考書 見ていいから」

 

私  「え!?・・見ていいんですか?」

 

教授 「おじいさん大変だったろうから、特別いいよ」

 

私  「マジすか!?」

 

教授 「あ・・あと、私、授業があるから、途中で居なくなるので、1人でやっててね・・。助手が たまに見に来るけど、終わったら帰っていいから・・」

 

 

私の心の中 (やったぁぁ~♪・・不敏なことも役立つものだ・・(^^;))

 

 試験がスタートして、間もなく、教授は授業へ行き・・、私は、教科書を広げて、どうどうとカンニング?・・(^^;)。

 

 

・・しかし・・

 

 

もともと、教科書見ても理解できない難しさなので・・結局、よく分からず・・(@@;)

 

「やばい、やばい」・・と、焦りながら、教科書をべらべらめくって時間が過ぎていきました・・(--;)

 

 

やっぱり・・留年だ・・

 

 

 

そう思って、諦めかけたとき・・

 

助手のAさんが、入ってきました・・。

 

助手Aさん「白鳥・・おじいさん大変なんだって?大丈夫なのか?」

 

私(ここまで来たら不敏を装って)・・「あと、何日もつか分かりませんが・・数日は大丈夫かな・・という状態です・・(--;)」

 

助手Aさん「試験の方はどうだ・・。きちんと卒業してお爺さんを安心させないと・・」

 

私 (不敏オーラ 全開で・・)「教科書見て良いとは言われたのですが・・なかなか難しくて・・ダメですね・・」

 

助手Aさん「・・・」 じ~っと【試験問題】と【私の回答】を見て・・

 

助手Aさん「白鳥、お前バカだなぁ・・。ここはさ・・、例えばだよ・・」

 

と、Aさんは、分かりやすく説明をしてくれました。

 

さらに・・

 

助手Aさん「仮に、ここの数値が、こうだったとすると・・。あくまで仮の数値だよ・・」と言って、計算の方法まで教えてくれました。

 

・・しかも・・

 

私の心の中(え!? それって、答えそのものじゃん!(@@;))

 

Aさんは、「仮の数値」・・と言いながら、
  答えそのものを書いてくれました(;_;)。

 

Aさん「解ったか?」

 

私「ええ!よく分かりました(そりゃそうだ・・)」

 

 

Aさんは、それじゃ、書き終わったら呼んでね・・と部屋を出て行き、私はAさんが書いてくれた答えを、回答用紙に丸写しして、試験を終えました。

 

 

教授・・助手Aさん・・ありがとうございました(^^)

 

 

こんな九死に一生を得る形はあるのだろうか・・(^^;)

 

 

試験を無事に終えて、卒業が確実になったその日の夕方、自宅の電話が鳴りました。

 

実家の母親からでした。

 

母「おじいさん・・治ったよ・・」

 

私「え!?ウソ?・・どうやって!?」

 

母「それがさ・・近所の 咲江さん(爺さんの友達おばあさん)が、除霊師という人を連れてきてさ・・。その人に拝んでもらったら、すぐに戻ったんだよ・・」

 

私「マジで!?。そんなことってあるの?」

 

母「私もびっくりだよ・・。 霊ってあるんだねぇ・・」

 

私「信じられないねぇ・・」

 

母「ところで、卒業試験はどうだったの・・?」

 

 

おかげさまで・・卒業できそうだよ(^^;)

 

 

 

今回は、いったい「何の」おかげ・・?

・・だったんだろう・・。

 

不思議な数日間でした・・(^^;)。

 

 

 

 
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